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2012年3月9日

東アジアを感じさせる街・太宰府

 福岡県太宰府市には、かつて政庁が置かれ、古くから東アジアと関係の深かった街だ。太宰府天満宮には神木の飛梅があるが、今年は3月に入っても3分咲きで、1カ月遅れとのこと。お参りにきた受験生の中には、合格のお礼参りの時に満開という人もいるだろう。
(文・写真=多田則明)

外交・防衛を担った古の政庁

日宋貿易に尽くした平清盛/天満宮の「飛梅」は1ヵ月遅れ


満開になった太宰府天満宮の神木・飛梅(昨年2月27日に撮影)

石碑に「都督府古趾」と記された大宰府政庁跡

白梅の香が春の到来を告げる
 福岡県は東アジアを身近に感じさせる街。1996年にできたキャナルシティ博多は、中国人観光客を想定していたし、95年に開業したシーホークホテル&リゾート(現在のヒルトン福岡シーホーク)は、東シナ海に向かう豪華客船のイメージがある。

 博多から太宰府までは電車で約30分。太宰府の手前に、大規模な土塁を森が覆ったような水城跡がある。663年の白村江の戦いで唐・新羅軍に敗れた日本が、博多湾から大宰府に攻め込まれるのを恐れ、翌年に築いた防塁だ。水城の博多側には深い堀が掘られていて、高台から見渡すと、外国の軍勢に対する当時の人たちの恐怖感が察せられる。

 大宰府政庁は7世紀後半に設置された行政機関で、九州全域を管轄するとともに、中国と朝鮮に対する外交・防衛を担っていた。ここは『平家物語』とも関係が深く、平清盛は大宰府大弐(次官)に任じられたことで、北九州の武士たちを配下に収め、日宋貿易の権限を手中にしたのである。

 大宰府政庁跡には礎石が残されていて、建物の位置を示し、ほぼ中央に「都督府古趾」の石碑が立っている。向こうに見える大野山には山城があり、車で登ると当土塁や石垣が残されていた。

 当時、中国や朝鮮の船が博多に入ると、使節は迎賓館の鴻臚館にとどまった。大宰府の役人は朝廷に必要な品を引き取り、商人たちはその残りで日本人と交易していた。鴻臚館から大宰府まで約15キロ、幅12メートルの直線道路が敷かれていた。今、その発掘作業が進められている。

 大宰府というと、第一に思い浮かぶのが菅原道真である。豊かな学識から宇多天皇(後に上皇)に重用され、内覧という摂政・関白に次ぐ役職にまで昇ったが、周りの反発を買い、あらぬ罪を着せられ、大宰府に左遷された。

 「東風吹かば匂ひをこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」

 こよなく梅を愛していた道真が、大宰府に赴く折、京都の邸宅にあった梅を詠んだ歌である。

 その歌を受けて、道真のいる大宰府に飛来したと伝わるのが、太宰府天満宮本殿の右手にある白梅。3分咲きだが感激した。梅の前で代わる代わる記念撮影するのは、受験生らしい若者と中国人が多かった。

 天満宮は道真の霊廟である。道真を天神とする天神信仰が広まったが、今では学問の神様として崇拝されている。道真もそれを喜んでいることだろう。


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