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第2部 構想30年 現実味増す日韓トンネル

戦前から芽生えていた日韓・青函トンネル構想

不信解消で実現した「英仏」


 1959年の洞爺丸の事故で多くの犠牲者が出たのを契機に、始動した青函トンネル構想。83年に先進導坑が貫通、85年に本坑が開通し、88年からの営業開始。足掛け30年近くのプロジェクトとなった。

 青函トンネルの技術は、86年着工の英仏海峡トンネルに生かされた。川崎重工の掘削機も貢献。英仏海峡トンネルは、計画から5年で本坑が開通した。

 日韓トンネルは、日本が大陸の支配強化に向け考案。「亜細亜新幹線」と言われる超特急で大陸を横断し、東南アジアまで走行させる計画が、かなり具体化していた。3プロジェクトとも、戦前から構想が芽生えていたものだった。

 ユーロトンネルは、すでに1802年、仏鉱山技師が皇帝ナポレオンに提案。同81年には英国の海峡トンネル会社が英国側からトンネル掘削開始したが83年には中止となった。

 建設計画や掘削が、途中、何回となく挫折したのは、相手国への疑念があったためだ。ようやく1986年2月、サッチャー首相(当時)がユーロトンネル・プロジェクトの実施を決定し、英仏両政府による事業認可が降りたのは、相互の不信が解消したためだ。今、日韓双方で、有識者が日韓トンネルの建設に積極発言をしており、その着工に向け、潮時を迎えている。


【課題と対策】 対馬海峡の破砕帯が難所

青函のノウハウを結集

 日韓海底トンネルの調査斜坑が掘り進められている佐賀県唐津市鎮西町の一角。市の西北に位置し、湾を隔て東側にはイカの水揚げを誇る呼子の港がある。

 調査斜坑は、地質調査を主目的に海岸近くに試験的に掘られる急勾配のトンネル。このほか作業を進める要となる先進導坑、本坑と掘る必要がある。

 その堀削工事が1986年からスタート。入り口には、「日韓トンネル名護屋調査斜坑」の看板。ハングルでも書かれている。トンネルは高さ5・5メートル、幅6メートルの馬蹄形。長さは現在、540メートルで、深さは海抜マイナス75メートルに達している。

 一般財団法人・国際ハイウェイ財団(梶栗玄太郎会長)が、全長235キロ(海域部、約168キロ)の日韓海底トンネルの実現を目指し、斜坑掘削、海・陸上ボーリング地質調査などを行ってきた。

 青函トンネル技術調査委員会の地質部会委員長を務めた佐々保雄氏ら、青函の経験者のノウハウが結集されている。

 有力ルートは、対馬から韓国の馬山市方向に向かい、巨済島を通って右カーブし釜山市西方の江西区に出てくる案。対馬から釜山までの対馬海峡西水道には、海底まで150メートルを超える最深地点がある。さらに褶曲による破砕帯があり、最大の難所。

 これまで費やした費用は総計100億円超。「統一教会の信徒による献金が多いが、会員からのカンパもある」(大江益夫・同財団事務局長)。大半が、土地買収と調査費用に費やされた。

 海底下の地質調査には船上からの音波探査が不可欠。主に、日本側の海域で4万キロ走り、地質を確定した。同探査は、轟音で魚が逃げるため、現在では漁協による調査反対運動が予想される。土地買収と並び、政府が着工を決めた場合、民間の調査データを活用しなければ、同プロジェクトは進めにくいとみられる。


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